GOA GIL(ゴアギル)


Goa Gilのサイケデリックの歴史は濃く奥深い。1960年代サンフランシスコミュージックシーンが最前線の時代に生まれ育ったが、ヒッピー発祥の地ヘイト・アッシュベリーのミュージックシーンに失望、1969年にインドのゴアへと旅に出た。

ゴアで過ごした70年代はミュージックハウスと呼ばれる人々が集う場所を監督した。そこは、世界中を旅行して回るジェット族や、放浪の旅を続けるヒッピー、旅好きなトラベラーなどがクリスマスホリデーやフルムーンパーティに集まり、音楽を作り情報交換をする場所だった。

80年代初めに再び旅を始めたGilは、アメリカとイギリスへの旅の途中、エレクトリック・ボディ・ミュージック(EBM)、ジャーマン ニューウエーブ、インダストリアル、ヒップホップなどの他のエレクトリックミュージックと出会う。その未来的なエレクトロニックサウンドをゴアに持ち帰ったGilは、レコードからウオークマンテープレコーダーに録音し、ボーカルは取り除き、曲のいい具合のシンセとドラムマシンの部分だけをキープし、それらをサンプリング。サイケデリックでトライバルな自分達のコンセプトに合う様に変えて「ゴアトランス」と呼ばれる音のモデルを創っていった。
Gilはミュージシャンとして活動しながらも、グル(ヒンドゥー系ヨーガの指導者)達とヒンドゥークシ山脈にてハードなヨーガに取り組み、ニュー・エイジ向けの音楽とヨーガを1つに組み合わせたものを作ろうと試みていた。その結果生まれたのがインドで始まったフルムーンパーティであり、それはやがてタイや世界中へと広まって行った。



Goa GIlがプレイした伝説的なパーティに、イスラエル・エルサレム近郊で行われた「Forest Of The Saints」がある。このパーティの模様はミックスCDとして1998年Avatarより発売されている。それ以降もDJとしては今まで数々のMIX CDを発表しており、アーティストとしては妻Ariane(a.k.a. Nimba)と、15年前から始めたプロジェクトでアフリカン・ドラムスとダークPSYトランスのフュージョンであるTHE NOMMOSが有名だ。


現在、Goa Gilはオーガナイザーが最もブッキングしたいサイトランスDJの1人と言えるであろう。
しかし、以前はネバダ州で行われるバーニングマン・フェスティバルの常連であったGilだが、現在はコマーシャル的トランスやレイヴカルチャーからは距離を置いている。
「私がレイヴでやっている事は違うと思っている。だからひとくくりにまとめられたりすると少し屈辱された感じがする。」
Goa Gilは、パーティは参加した人がトランス ダンスを通し感情を高め”あがる”為の媒体と考え常にそれにこだわって来た。そして、その違いはただ単に音楽にあるのではなく、どれだけ集中し入り込んで行くかだとGil言う。

「私にとっては神聖なもの、どこで誰の為にプレイするかが非常に重要なんだ。お金じゃない、人々の意識をトランスのダンスを通して上げて行く、その為に私はそこに立つんだ。トランス ダンスを通じて、敏感に成って、自分達の事、自分達が置かれている状況、人類の岐路、この地球に何が必要か....感じ取って欲しい。そう感じる事が理解や情熱へと繋がって行く。それこそが真のゴアスピリットに必要なものなんだ。」


早期のゴアトランスシーンが現在の欧米のダンスカルチャーに与えた影響は計り知れない。
インド、ゴアのビーチで初めて経験したリズミックなトランスから、今日のコマーシャル化されたトランスに至るまでには長く曲がりくねった道のりがあったであろう50歳のテクノ・シャーマンGoa Gilは、ゴアトランスの誕生に欠く事の出来ない人物であり、音楽とダンスを通しトランス体験に全身全霊で挑む姿は、ゴアトランスDJやニルバーナ系パーティ経験のあるトラベラーの間で伝説と成って行った。まさに現代のトランスにおいて最も重要な人物と言えよう。
そしてゴアトランスは、グローバルに活躍するアーティスト、レーベル、プロモーターなどのパーティに対する強い思いがあるからこそ、今も尚スピリチュアルで超越した経験を創る事を目的としたアンダーグラウンドな音楽のムーブメントであり続けるのであろう。



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